鋼鉄の男。・・・1

僕には好きだった叔父さんがいた。
父の兄弟の長兄だった。

叔父さんは高校進学を機に、生まれた育った夕張の街を離れ、単身上京した。
その後大学に進学すると、弟と妹を東京に呼んで、勉強や生活の面倒を見た。
多くの苦労は自分に与えられた使命だと、何も言わずに飲み込んだ。

卒業後は日本最大の建設コンサルタント会社に入った。
「君は海外勤務になる。ほとんど帰ってこられない覚悟を持ってほしい。」
そう上司に宣告されたが、かまわずに引き受けた。

実際に仕事に対する誠実さと熱意で重用され、東南アジア諸国を歴任した。
第三世界の電源プラント開発や治水事業に数多く関わった。
その業績に感謝と敬意を表して、いくつかの国では叔父さんの使う車には、
大使に次ぐ専用のナンバープレート「・・・2」が贈られていた。

一方で、それだけ海外生活が長い分、身体には多くの負担をかけた。
酒も煙草も愛して止まない人だったからかもしれない。
咽頭癌を含めて4度の大きな病を患った。
そのどれもが、仕事への復帰など到底無理だと診断された。

だが、叔父さんはその度に重大な手術を乗り越え、診断を覆した。
責任感は生来強かった。
「誰かがやらねばならぬ面倒なら、俺がやる。」と言っていたのを
僕自身も幾度となく耳にしていた。

奇跡の復帰が二度を超えた頃から、本社や現地国の担当省庁では、
「不死身の男」「鋼鉄の男」と呼ばれるようになった。
その是非はともかくとして、誠の意味で仕事の鬼だった。

真摯な姿勢、粘り強い交渉力、人望。
70を過ぎても顧問として業務を依頼されていたことからも分かる。
その叔父さんが、先日亡くなった。

                    (つづく)
Commented by osakaken at 2011-09-23 02:56 x
大切な人を喪われたのですね・・。

きゅびさん やはりそうだったのかと 拝読して思いました。ステキな人には もっとステキな人が 傍にいるのではと・・日頃から思っています。きゅびさんも そうだったんだ・・。
人は人により つくられる・・。
おじ様はきっと 大きなお仕事もなさり たくさんの人を育ててこられたのでしょうね。
ありがとうございます・・。

ご冥福をお祈り致します。
Commented by hinemosunorari at 2011-10-06 19:16
■大阪ケンさん
本当に、お返事が遅くなってスミマセン;;;;;
思い出すのがつらくて書きづらかったこともありますし、
やはり大好きだった人の事なので慎重に
言葉を選びたかったというのもあって、
書き終えるのに異様に時間を費やしました。

終わってみなければ、どんなものになるのかよく分からなくて
故にいい加減な返事も書けず、その結果の今日です。
平にご容赦を!;;;
by hinemosunorari | 2011-09-22 15:36 | 日々のよしなしごと | Comments(2)

洒落と知性と愛そして無駄の織りなすブルース。


by きゅび
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