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つかまつったり、天下一!(第七夜)

四年が経った。
全てが傷つき奪われた火事だった。

あの日、お安岐と颯之助を助けに飛び込んだ屋敷は、
三人をのみ込んだまま炎に包まれて崩壊した。
衝撃で九兵衛は胸に抱いた颯之助もろとも、吹き飛ばされて気絶した。
二人の助かる道は無いはずだった。
しかし、最後の時にお安岐が打ち掛けてくれた一枚の小袖が、
降りかかる火炎から二人を守ったのだった。

自らの命を盾にしたかのようなお安岐の最期は、九兵衛を苦しめた。
江戸の町を守っている自負はあった。
でも実際は、ただひとりの大切な人すら、守れなかった。
火消しの職を続けていく事など、出来はしない。

暇を願い出た九兵衛は、下町の長屋に移り住んだ。
颯之助が元服するまで、傘の修繕でもして細々と暮らし、
余生はお安岐の供養に捧げようと思った。

その颯之助はというと、あの日の火災で視力を奪われていた。
灼熱を帯びた灰が彼の瞳を焼いたのだった。
既に傷は癒えているのだが、彼の目には光は戻ってこなかった。

藩校で優れた剣術を修めていた彼だったが、視力を失い剣を捨てた。
剣を捨てて、学問の道に励んだ。
見えぬ負担は大きかったが、強い精神で克服して学問でも秀でた門下生となった。
彼は聡明だった。
しかし、その聡明さがかつては友人だった者の妬みを買った。

年の瀬のある日、藩校の門を出たところで、
いつものように九兵衛が迎えに来るのを待っていると、
背後から泥のつぶてを投げつけられた。
「何者じゃ!おやめになれ!」
颯之助は泥が飛んできた方向に叫んだ。
すると今度は別な方向から泥団子が投げつけられた。

「何故そのような真似をするのじゃ!おやめになれ!」
叫ぶうちに四つ五つと泥の塊が次々に颯之助を捉え、
ついに彼は平衡を失ってその場で倒れてしまった。
「どうした、颯の字!悔しければ、得意の剣で打ってきてみるがいい!」
「それとも、剣の修行はやめてしまったから、戦えぬと言うか?」
「それでは何の為の侍だか、見当もつかぬわ。」

嘲笑の輪の中から、動けなくなった颯之助めがけて、
ひときわ大きな泥の塊が投げつけられた。
しかし、その礫は彼に当たる事はなかった。
寸前で颯之助をかばった大きな背中にさえぎられたからだ。
「遅くなったな、颯之助よ。」
「父上!」
九兵衛は立ち上がり、輪に向かって言った。
「さぁさぁ、皆々!今日も颯之助と遊んでくれて、有り難うござった。
 また、明日も来るから仲良くしてやってくれ!」
蜘蛛の子を散らしたように四散する子供らを見送ると、
九兵衛は倒れた息子を助け起こして、泥を払った。
「怪我はないか?歩いて帰れるか?」
「はい父上。」
「よし。それでは暮れ六つになる前に帰ろう。」

歩きながら九兵衛は颯之助に話した。
「颯之助よ。つらいか?」
「・・・・・・・・・・。」
「苦しいか?」
「・・・・・・・・・・。」
「慰めてくれる母が恋しいか?」
「颯之助には、父上がおりますから大丈夫です。
 つらい事も苦しい事も、父上と共に暮らしていれば、
 身に堪える事など、何もございません。」
そう気丈に振る舞う颯之助の目には、溢れるほどの涙が幾粒もたまっていた。

「颯之助よ、辛くなったらな、お天道様を見るのだ。」
「お天道様ですか?」
「ああ、そうだ。
 世が変われば人の心も移り変わる。
 人の前ではまっとうな道筋だって、時が経てばどうなるか知ったもんじゃない。
 だけどな、颯之助。
 お天道様はいつもきちっと、正しい道筋を照らしてくれるんだ。
 だから、お前の母上はお天道様みたいな人だったんだ。
 わかるか?」
「はい。父上。」
「どんなに辛くったって、顔を上げて元気にお天道様を拝んでいないと、
 母上が心配するぞ。」
「はい!颯之助はもう父上にも母上にも心配など掛けませぬ。
 何があっても笑って過ごします!」
「そうだ、颯之助!それでいいんだ!
 さ、明日は久しぶりに公吉殿が様子伺いに来ると申していたから
 早く帰って支度をせねば!急ぐぞ颯之助!」
「はい!」

急ぐ二人は気づかなかったが、
一陣の斬り付けるような冷たい北風が二人の背後を通り抜けた。

天和二年(1682年)十二月の暮れ。
この北風が三日後には吹き止まぬ暴風となる。
木枯らしと呼ぶにはあまりにも強烈な風の吹き荒れる中、
駒込で八百屋を営む市左右衛門の娘、
わずか十七歳のお七が、愛しい庄之介に一目会いたい一心で、
火を放とうと企んでいる事など、誰にも知る由はなかった。


                                つづく
Commented by 大阪 ケン at 2006-03-14 22:19 x
昔からあったんだよね~「弱いものイジメ」・・「己の欲せざる所は 人に施す事なかれ」・・現代の子供にも教えたいよね。続きが読みたいです。
Commented by アルピニア at 2006-03-14 22:39 x
顔を上げて生きていく。。ってとても大事なことだと思います。
しかし続きが気になるなぁ。。。
Commented by きゅび at 2006-03-14 23:02 x
■osakakenさん
 フィクションと史実が融合して、物語はいよいよクライマックスへと
 突入していくのでございます。こうご期待!
■アルピニアさん
 涙がこぼれないように、上を向いて歩こう。
 九兵衛の「九」の字にあやかって、坂本九さんの名曲から
 拝借いたしました。このくらいなら著作権に抵触しないと
 勝手に思いこんでいたりします。
 さ、波瀾万丈のクライマックスはすぐそこに。乞うご期待!
Commented by 高摂 at 2006-03-14 23:52 x
江戸の火事場……芥川の「奉公人の死」という作品を思い出しました。二つの物語がどう出会うのか!?
Commented by aburaking at 2006-03-15 13:04 x
目指せ子連れ狼(違)
乾燥した風で強いと火もまた強くなるんだよねぇ・・・( ´_>`)
Commented by きゅび at 2006-03-16 19:45 x
■高摂さん
 芥川のその作品は、あいにく読んだ事がございません。
 短編でしょうか?ちょっと興味津々なんですけれど^^;
■aburakingさん
 ぶっwwww
 子連れ狼ですか!(やや古)いずれにしても、この強風にあおられて
 物語はますます燃え上がるのでございます。
Commented by はむねこ at 2006-03-16 20:27 x
みたらし団子だったら、身を挺して受け止めてあげたのに><
・・・
さて、怒られる前に次行こうっと・・・。
Commented by きゅび at 2006-03-21 02:03 x
■はむねこさん
 別に怒りませんよーw
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by hinemosunorari | 2006-03-14 21:47 | 日々のよしなしごと | Comments(8)

洒落と知性と愛そして無駄の織りなすブルース。


by きゅび
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