つかまつったり、天下一!(第四夜)

お安岐と結ばれたのは、10年よりももっと昔の事だった。
遠く津軽よりやって来た彼女は気の強いしっかり者で、
事あるごとにしばしば九兵衛と衝突もしたが、真っ直ぐな心と清らかな人柄で、
すぐに九兵衛の大切な人となった。

夫婦となって数年。二人には子がいなかった。
ある夜、近しい者達が二人を心配し始めた頃、
お安岐は九兵衛の目を真っ直ぐに見つめてこう言った。

「お前さん?
 私に子を産めるかどうかは、当の私にも分かりません。
 けれどね、お前さん?
 たとえ子を授かろうが授かれまいが、
 私があんたとこうしてずっと添い遂げたいと思う気持ちは、
 ただの一度でも揺らいだ事など無いのですよ。
 だから、どうぞこのままずっとお前さんの傍に、
 私を置いといてやってください。
 世間様につらい噂の立つこともございましょう。
 でも、どうぞ辛抱してください。」

胸の芯に響く言葉であった。
九兵衛は初めて知った。
お安岐は決して気の強い女などではなかった。
慣れぬ江戸での暮らし、火消しの妻としての張りつめた暮らし、
それらの重責を果たす為に、心優しいお安岐は敢えて勇ましく振る舞うより他に
為すすべがなかったのだ。

素顔のお安岐の心に触れて数年が経ち、二人は男の子を授かった。
器量よしで純真で快活なその子は、颯之助と名付けられた。
書の才覚あり、剣術の覚えも良い、行く末楽しみな待望の子であった。

***********************************

駆けつけてみると、火消し屋敷一帯には既に火があふれていた。
難を逃れようと右往左往する人々の中で、九兵衛は叫んだ。
「お安岐っ!颯之助っ!」
何度も叫びながら、屋敷に入る木戸口に体当たりするが、
炎でゆがみ膨張した戸は、どれもびくともしなかった。

時を同じくして馳せ参じた大名火消しの一団も、強い火勢に打つ手を無くしていた。
家屋に取り残された人々を救おうと決死の試みを繰り返したが、
塀を越えようにも炎と煙が行く手を阻み、屋根伝いに入り込もうとすれば、
朱に染まった火の粉混じりの烈風に、たちどころにたたき落とされた。

九兵衛は意を決して勝手口へ回り、いくらか残っていた汲み置きの水を頭からかぶると、
火の手の上がっている木戸に、渾身の体当たりを浴びせた。
ドスンという大きな響きと共に、果たして木戸は焼け崩れた。

「お安岐!颯之助っ!」

叫んで呼ぼうにも、炎と煙にたちどころに巻き込まれてしまう。
屋敷自体が崩壊するまでそう長い時間などありはしなかった。
九兵衛は、所々にある水瓶の水をかぶりながら、勘と手探りで屋敷内に進んだ。

焼け落ちた何枚目かの壁をくぐった時、九兵衛の目に見覚えのある着物が飛び込んできた。
「お安岐っ!」
「お前さん!」
もうもうと立ちこめる煙の中に蹲っていたのは、颯之助を抱いたお安岐であった。
水をかけた小袖を幾重にも重ねて、火を防いでいた。

「無事か!何故逃げぬのだ!」
「屋敷の者を避難させているうちに、火の手で退路を断たれました。
 お前さん、颯之助を頼みます。」
「待て!どこへ行くのだ!」
「奥の間に新調給わったばかりの、お前さんの火消し半纏がありますから、
 それを取りに戻ります。」
「馬鹿なっ!すぐに逃げねば命を落とすぞ!」
「お前さんが江戸の火消しに命がけなのと同じく、
 私も火消し九兵衛の妻であることに、命を張ってございます。
 それは江戸に嫁いできた日から、今日の今までかわりませぬ。
 お前さん、すぐに引き返しますゆえ、颯之助を頼みました。」

そう言ってお安岐は自らの小袖を一枚九兵衛に掛けると、
炎の燃え立つ屋敷奥へと足早にとって返した。
「待つのだ!お安岐っ!」
九兵衛がそう叫び終わる前に、火消し屋敷はついに轟音をたてて崩壊を始めた。
九兵衛も颯之助もむろんお安岐も、幾百幾千もの火の粉と共に、
崩れ落ちる屋敷に飲み込まれてしまった。

1678年の冬の夜のことであった。


                                          つづく
Commented by アルピニア at 2006-03-11 23:00 x
一体続きはどうなるの???? 
歴史物の小説はあまり読まないんだけど、これが文庫だったら、一気読みしそうな感じですなw
Commented by きゅび at 2006-03-11 23:08 x
■アルピニアさん
 はやっ!!全盛期のはむねこさんを彷彿させる迅速なコメントです!誤字脱字チェックをしていたら、もうコメントが付いていましたw
言わずもがな、続きはまだまだ僕しか知りません^^がっはっは!
因みに次回更新は明日の深夜になる見込みです。
 
Commented by ryoma2006 at 2006-03-12 02:30 x
時代小説しかも庶民派ではないですか。きゅびさんはこういうのも書くんですね。これからも楽しみです。
Commented by はむねこ at 2006-03-12 19:57 x
勢力下降気味のはむおです、こんばんわ(/公\*)
・・・
物語の続きと共に『お安岐』さんの女っぷりが気になります(/公\*)
Commented by スシファイ at 2006-03-12 20:11 x
てやんでいべらぼうめ!おう熊よ、そんなところに突っ立っていねいで、こっちへ来やがれ!

ってのは置いといて、花見はどこでもようござんすよ。九兵衛さんの行くところなら、例え火の中水の中!ってね。
Commented by スシファイ at 2006-03-12 22:14 x
コメント後に読んだが・・・・・・・お安岐さんは・・・・居なくなっちまったのかい??
Commented by きゅび at 2006-03-12 23:55 x
■ryoma2006さん
 初めての試みですが、やる気満々です。ふふふ。
 ryomaさんの期待を良い意味で裏切れるよう、がんばろっと^^
■はむねこさん
 …(´・ω・):;*。':;ブッ 勢力って^^;  
 おたくのブログの掲示板に誰かから「最近さぼってますね」と言う
 趣旨の書き込みを発見してしまい苦笑しましたw
■スシファイさん
 あの、フィクションですから。
 実際のところ僕は火の中には決して入りませんし、水に浸かって
 花見をする趣味もありません!
 ただし、花見には超前向きw
■再び、スシファイさん
 さてさて、それはじきに分かることでございますよ。
 なるべくスシファイさんの言うとおり、短期集中で行きたいと
 思ってますので、どうぞお付き合い下さいませ^^v 
Commented by 大阪 ケン at 2006-03-13 12:03 x
安岐チャン・・友人子供の名前!・・読みながら混同しそうです。
助けてあげてね~・・・・続きに さあ急ごう!
Commented by きゅび at 2006-03-13 21:49 x
■osakakenさん
 あらら^^;なんたる奇遇なのでしょう^^;ごめんあそばせ。
by hinemosunorari | 2006-03-11 22:20 | 日々のよしなしごと | Comments(9)

洒落と知性と愛そして無駄の織りなすブルース。


by きゅび
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