姨捨伝説

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「我が心慰めかねつ更級や姨捨山に照る月を見て」

古くは「大和物語」に記されている姨捨伝説。
「姨捨」と書いて正しくは「をばすて」と読むのであります。
深沢七郎の「楢山節考」などでも題材として取り上げられているので、
ご記憶されている方も多いのではないかと思います。

先日、仕事で長野県の飯田市から上田市へ高速で向かう途中、
「姨捨」というサービスエリアがありました。
姨捨山が実在した事に驚くと同時に、学生の頃に読んだ古典の姨捨の言い伝えを思い出しました。

後世の語り継ぎの経過の中で、随分余計なお話がくっついたりして、
いま伝え聞くお話の多くは、洞察を欠いた切れ味の悪いお話ばかりに感じます。
今夜はきゅびがオリジナル「大和物語・第百六十五段」をきゅび流に訳し、
皆様にご紹介した上で、きゅびの思うことについて語りたいと思います。
御代は頂きませんから、どちらさんもまぁごゆるりとお聞きくださいな。

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その昔、あなたのお爺ちゃんのお爺ちゃんのお爺ちゃん、
そのまたお爺ちゃんのお爺ちゃんの・・・ってのを、軽く十五回ばかりくり返した頃のお話。

信州は更級という雪深く貧しい農村に、ある男が住んでいた。
まだ幼い頃、両親と死別し一人きりになってしまった彼は、不憫に思った小母にひきとられた。
村自体貧しく、小母も決して余裕などある暮らしではなかったが、
まるで我が子の様に目一杯愛情を注いだ子は、その後健やかに成長した。
時は二人に平等に経過する。
やがて、男は家族を持つようになり、小母は老いて歩く事さえままならなくなった。

ある秋の日、男の嫁が生活の負担を打ち明けた。
 「もうすぐ冬がやってきます。
  今年の収穫も、残念ながら豊かな実りではありませんでした。
  お前さま、このままでは子らもわたしも飢えて死にます。
  厳しい冬が越せないのです。」
と。そして、身動きさえ取れぬ小母を、里のはずれにある山に打ち捨ててきてほしいと嘆願した。
家族と小母を量りにかけよというのだ。

男は独り、心底苦悩した。
けれども、愛する者達が飢えと貧しさで、狂気に染まっていく様は見るにたえず、
ついに、男は嫁の願いを聞き入れてしまう決断をするのであった。

「山寺で、とても有難い法会がありますから、一緒に行きましょう。」
男の思いやりにことのほか喜ぶ何も知らぬ小母を、そういって男は背に背負い、山道を登った。
美しい晩秋の月夜の事である。
そして、道も途切れてしまった険しい山中に、小母ただ一人を残して男は下山する。
男は必死で駆けた。
背に呼びかける小母の声を振り払うかのように、一心不乱に駆けた。

一体どれほど駆け下りただろう。
小母の声も届かなくなり歩調を緩めた頃、男の胸に去来するものは、
どんなに貧しくとも、我が子の如く自分を愛し育ててくれた、小母との思い出の数々だけだった。
親を失った子供を引き取り、身を砕いてでも心血を注いで育ててくれた、
小母との思い出の数々だけだった。
歩きながら男は泣いていた。
彼は気づいたのだった。自分の生命が今日あることの意味を。
泣きながら見上げた空には、あまりにも美しい月が清々として輝き、
彼の心の痛みを真っ直ぐに照らしていた。

「我が心慰めかねつ更級や姨捨山に照る月を見て」

そして、夜が明けるころ、男は小母を捜しに再び山へ戻っていったのだった。

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現代社会では、すっかり埋没してしまったこの「姨捨山」。
改めてスポットライトを当てると、これがただの悲しい物語ではなくて、
本物の一流古典文学作品だということがはっきり分かります。

きゅびには、この時代を超えたメッセージが伝わります。
たとえば姨捨山を老人介護施設と思ってください。
とたんに身近な問題に豹変します。
ある医師が死亡診断書にある「死亡場所」の欄に、
「介護施設内」と書くことがあまりに多く、嘆いているHPを以前見ました。
そして、介護施設に一度入所すると、大半が家庭に戻る事は無い現実も書かれていました。

「認知症」の要素や「尊厳死」の要素も、多分に含まれるこういった問題。
「いかにして死ぬか?」を考えた時に、この約1000年前の作品が訴える「家族愛」は
今の日本社会、いや世界の多くの国に欠けているキーワードの一つのような気がします。
皆様は、家族を大事にされてますか?

*追加・・・原文を紹介します。
信濃の國に更級といふところに、男すみけり。
わかき時に親死にければ、をばなむ親のごとくに、若くよりあひそひてあるに、
この妻の心いと心憂きことおほくて、この姑の、老いかゞまりてゐたるをつねににくみつゝ、
男にもこのをばのみ心さがなく悪しきことをいひきかせければ、昔のごとくにもあらず、
疎なること多く、このをばのためになりゆきけり。
このをばいとたう老いて、二重にてゐたり。
これをなをこの嫁ところせがりて、今まで死なぬこととおもひて、よからぬことをいひつゝ、
「もていまして、深き山にすてたうびてよ」
とのみせめければ、せめられわびて、さしてむとおもひなりぬ。
月のいと明き夜、「嫗ども、いざたまへ。寺に尊き業する、見せたてまつらむ」といひければ、
かぎりなくよろこびて負はれにけり。
高き山の麓に住みければ、その山にはるばるといりて、たかきやまの峯の、
下り來べくもあらぬに置きて逃げてきぬ。
「やや」といへど、いらへもせでにげて、家にきておもひをるに、
いひ腹立てけるおりは、腹立ちてかくしつれど、としごろおやの如養ひつゝあひ添ひにければ、
いとかなしくおぼえけり。
この山の上より、月もいとかぎりなく明くていでたるをながめて、夜一夜ねられず、
かなしくおぼえければかくよみたりける、

わが心なぐさめかねつ更級や姨捨山に照る月をみて

とよみて、又いきて迎へもて來にける、それより後なむ、姨捨山といひける。
慰めがたしとはこれがよしになむありける。







」」」」」当時のコメント」」」」」

はむねこさん おおお・・・なんともこの記事は・・・(* ̄ 公 ̄)・・・
とりあえず、答えだけ・・・私は大事に出来ているかはわかりませんが、大事にしたいと常日頃思ってます。単純に、今まで世話になった恩を返したいと言う損得勘定でもあるみたいですが^^;
・・・
ちなみに、私の知ってた姥捨逸話は『母を捨てに行く途中 捨てられるのが分かってる母が、帰り道息子が道に迷わないように小枝を折り捨て目印をつける。その行為を知り、捨てられず母と共に家に帰る』と言うヤツだったと思います^^
2005/05/22 22:08

きゅび
■はむねこさん
 いつもながら素早いですね!
 「世話になった恩返し」その単純な事がとてもおろそかになっている気がする
 昨今ですよね。はむねこさんの人柄が伝わる、温かいコメントに触れて
 何故かとてもほっとしています^^
2005/05/22 22:20

osakaken 私は親は必ず子供を愛したり・・深い心で守るというのは・・あまり信じてはいません。また母性神話も信じはしません。そうでありたいと思う人間本来の気持ちは 宗教などを鑑みてもわかりますが・・そうでないからこそ願いがあるのだと思います。私は子育ての中で娘達が宝ものだと思える環境にいられたことに感謝してますし・・
家族だけでなく人の愛が大切であると思えるように育てた母に感謝しています。この話を読んで思うのは・どこか捨ててきて欲しいと願った妻が悪者になっていませんか?そうなのかしら?介護の事も夫の父も実母も私は見送るまで介護しましたが・・それをできる環境にあったからだと・・わかっています。決して私が優しいからとか良い妻だからではありませんよ。ごめんね・・きゅびさん・・少し思うような事を書きすぎました。こういう話には思う事がありすぎます。・・
2005/05/22 22:23

★アクアマリン とても心の痛いお話ですね・・・ 究極の選択を迫られたとき 人はどう選択するのでしょう? 私は優柔不断だから 捨てることもみんなで苦しむことも選べないかもしれない・・・ 看護の問題に置き換えて考えるとき、とても複雑な気持ちです 自分だけがどんなに頑張ってもどうにもならないこともある・・・・ 悲しい現実です
2005/05/22 22:55

きゅび ■osakakenさん
 真摯なコメント、ありがとうございます。
 ご批判でしたら、正面から受け止めねばなりませんし、
 誤解が生じたなら解かねばなりません。
 個人的にはこの姨捨、思いやる愛情を描いた作品だと思うのですが^^;
 表現に個人を攻撃するような事や、神経を逆撫でるような事があったら、
 どうぞご指摘くださいませ。
 自身の責任において、訂正または記事の削除・非公開と言った可能な処置を
 随時とりますから^^

 
2005/05/22 23:17

きゅび ■アクアマリンさん
 1000年前の男に課せられた選択は、誰だにとっても究極の選択ですよね。
 ギリシャ神話のパンドラの箱。ご存知でしょうか?
 男が最後に小母を迎えに再び山に入った事が、最後に残った一つの希望のように
 思います。看護や介護、終末医療を考える時、「愛情」を切り離して考えては
 いけないと思います^^
2005/05/22 23:29

★香織☆ミ σ(´・д・`) も電車で長野行く機会があって姨捨ってところがあり
最初読めなかったんだけどふり仮名見てあの姨捨かぁ!ってびっくりしましたw
2005/05/22 23:31

ryoma2005 戦前まで、日本は古来から行われてきた仕来り、風習がそのまま残っていました。その中には不条理なこともあれば、非常に合理的なシステムもありました。今のように、一つの世界観もなく、その土地が蓄積した選択というものがあったのでしょう。それは、今のモラル観では非常に是非を問うことが難しい。母性、父性の問題も、戦時中教育の影響もあり、欧米のようなフェミニズムと同一文脈では語れない。僕は、現在の家族の歪は、そこに強引に欧米の個人主義が入ってきたことも要因のひとつではないかと考えています。
2005/05/23 01:06

きゅび
■香織さん
 駅もあるのですか!知りませんでした^^;;
 山梨から見たら、長野県はお隣の県ですものね^^
■ryoma2005さん
 欧米の個人主義の流入に関して、全くの同感です。日本でも核家族化が進み、
 ryomaさんがおっしゃる問題点がかなりマイルドになってきてしまった分、
 より輪郭がぼやけて問題自体を非常に分かりづらくしている感さえあります。
 今回の大和物語などから学ぶ普遍的な事柄が、今の日本の世の中には
 まだまだ沢山あると感じます。
 
 
2005/05/23 02:37

m⇔k 親の面倒を子供が見る。というのは、人によっては当たり前。でも そうは思わない人も世の中にはいるという事ですね。親の方も同じで 子供に迷惑をかけたくない。と思う親もいれば、子供がみるのは当然!と思う親もいるでしょう。
さて、自分はドウなんだろうと考えてみる。
自分の親はなんとしてでも守りたい。というか年老いたら世話をしたい。イヤと言っても私はします。で、この話の嫁の立場ならどうするだろうと考えた。
今の時代なら自分が働きに出て稼ぎます。でも昔はそんなことできなかったのかもしれないので、そうなると…自分の子供も旦那の親も旦那も自分も助かる方法があるのなら なんでもするだろな。泥棒するかもしれないし詐欺するかもしれない^^;
とにかく!がんばるさ!何事も!( ̄Д ̄)ノ オウッ
2005/05/23 17:29

はむねこさん コメント欄を見ても、今回の記事が素晴らしい事がわかりますね^^
2005/05/23 19:36

アルピニア ちょっと今の私には痛い記事でした。。
実家の父が認知症にかかっていて、病気をかかえた母が看護しています。
娘たちはそれぞれ家庭を持ち、それぞれいろんな事情を抱えてる状況で、私は母にまかせきりです。 両親がいたからこそ、今の自分があると充分に理解しているつもりです。 ・・・何かうまくまとまらないけれど、私に出来ることをしたいと思ってる。。。
2005/05/23 20:16

きゅび
■m⇔kさん
 簡潔で面白い記事を書かれているm⇔kさん。
 ご自分の記事よりも長いコメントを残してくださって、ありがとうございます^^
 考えてもなかなか答えの出ない質問を投げかけておいて、なんですが、
 最終的には僕もm⇔kさん同様、
 「とにかく!がんばるさ!何事も!( ̄Д ̄)ノ オウッ」
 の精神で立ち向かうと思います^^;
■再びはむねこさん
 ありがとうございます^^
 早く、今回の記事「も」素晴らしかったといっていただけるよう、
 精進してまいります^^
■アルピニアさん
 大変なご事情の中でのコメント、本当にありがたいです。
 僕の家の両親は、今現在は共に元気ですけれども、遠くない将来にはかならず
 今のアルピニアさんと同じ状況になる覚悟はいつも持っています。
 アルピニアさんがおっしゃる「自分にできる事をする」と言う決断は、
 1000年前の大和物語で描かれていた男が
 「どんなに美しい月でさえも、この心の痛みは癒す事は出来ない」 と詠んで、
 再び山に小母を迎えに行くその心境と合致しているように感じます。
 時代は流れて家庭は核家族化が進み、かつての大家族での暮らしは
 ほとんど残ってはいませんが、僕らの根底にある思いというものは
 今でも変わっていない事を、今回アルピニアさんや他の皆さんのコメントで
 僕自身学ぶ事が出来ました。どうもありがとうございます。
2005/05/24 09:57

m⇔k いずれは行く道だからね…。
σ(o・ω・o)アタイ よく言うさ。若く見えても細胞はうそつかないって…
((((_ _|||))))ドヨーン
2005/05/24 16:33

きゅび ■ふたたびm⇔kさん
 度々コメント、ありがとうございます^^
 ええと・・・一つだけ申し上げるならば、細胞の事で落ち込むのは
 あまりおすすめできません><;
2005/05/24 22:55

はむねこさん |・∀・)・・・『も』×100
2005/05/24 23:47

きゅび ■みたびはむねこさん
 ご丁寧に・・・ありがとう!!(_ _(-ω-;(_ _(-ω-; ペコペコ
2005/05/25 09:11

アルピニア 私はホントに何もしていないんです。 たまに実家に電話して近況を聞くくらいしかしてないんだ。。 ちと言い訳になっちゃうけど、ダンナの父が末期の癌で、私の他に女手がなくて、でも、何をしているわけじゃないんだけど、実母には「ダンナさんのお父さんをちゃんとみてあげてね」って言われて。
・・・どっちも大事なだけに複雑です。。。
(゜゜; ハッ! ごめんーーー、暗くなっちゃったねーーww
いつも酒飲んで楽しくやってるよーーーww
2005/05/25 20:29

きゅび コメント、気がつきませんでした・・・反省。
 しかし、とっても大変なお話を打ち明けてくださってどうもありがとう。
 この種のお話は、必ず自分に回ってくる鉢なので、
 お話を伺うといつも自分に置き換えて考えてしまいます。
 なんとも難しい環境ですが、結局は今の自分にできる事を
 するしかないようにも思えます。
 ですから、僕はそんなアルピニアさんの負担を、少しの間だけでも
 忘れさせられるような、楽しい記事を書こうと思います^^
2005/05/30 09:55
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by hinemosunorari | 2005-05-22 20:57 | 日々のよしなしごと | Comments(0)

洒落と知性と愛そして無駄の織りなすブルース。


by きゅび
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