この日の記念に書こう。(四)

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1969年、6月28日12時28分。
この世に一人の男の子が生まれた。
身長51センチ、体重は3360gの極めて健康な子だった。
出産後は母子共に順調で、子供は3ヵ月後には体重が倍以上になった。
何もかもが良好だった。

子の母親は、戦後の日本にあって女性では初めて脱サラ・独立に成功した人だった。
そして父親は、名の通った舞台照明家で忙しく日本中を飛び回っていた。
多忙な二人だったから、愛する第一子のために割いてやれる時間にも限界があったのかもしれない。

生後4ヶ月を迎えたある日、母親は食欲がなくなった子供を心配する。
元気な赤子の証拠だと思っていたが、最近ひどく大声で泣いていた。
そういえばお腹を壊していたようだから、きっと体調が悪いのだろうと判断して、
2、3日様子を見た上で病院に連れて行こうと思った。

ところがその夜から、子供の容態は急変した。
水もミルクも全く受け付けず、血便を続けたのだ。
母親はあわてて病院に我が子を抱いて走った。幸いすぐ近所に救急病院があった。
検査の結果、「重度の腸重積症」と診断された。
腸重積とは、小腸が大腸に入っていってしまう症状のことだ。
症状が重い場合は、生命を脅かす。

すぐに入院、手術の手配がされた。
10月11日のことだった。
症状が進行していたことと、患者が生後4ヶ月の小さな赤子だということで、
体力的にも技術的にもとても難しい手術になった。

衰弱しきった子供が全身麻酔に耐えられるのか?
点滴にしても輸血にしても、小さい身体では受け入れる容量が少ない。
腹部を全部切り開いたところで、力尽きはしないか?
順調に手術が進んだとしても、腸はたとえ大人でもすごくデリケートな組織の上に、
毛細血管の集合する重要な組織だ。
多量の失血は即、命を危機に晒す。ましてや患者は生後4ヶ月なのだ。
けれども手術無しでは確実に命を落とすところまで症状は進んでいた。
やるしかなかった。
実際、手術は困難を極めて、丸々一晩かかる大手術になった。

*****************************************

父親が我が子の大事を知ったのは、地方公演先でのことだった。
本番を終えた彼はそのまま夜行列車に飛び乗り帰京した。
窓にうつる夜景が、どんどん暗闇の向こうに消し飛んでゆく。
その闇の向こうに彼が見るものは、愛する妻と産まれたばかりの我が子の、
かけがえのない面影だけだった。
暗い列車のデッキで彼は、硬く目を閉ざしながら「頼むから、俺が行くまで持ちこたえてくれ。」と
必死で祈った。
そうすることが、遠く離れた場所にいる彼の出来る、ただ一つのことだった。

翌日、彼が病院にたどり着いたときには、子供はすでに手術を終えていた。
子供は手術をどうにか乗り切ったのだった。
面会を急ぐ彼は病室に入る手前で執刀医に呼び止められた。
そして子供の容態について聞かされた。
まず腸重積の症状が、思った以上に進んでいたこと。
処置の最中ではあったが、これ以上の手術に子供の体力が耐えられないこと。
小さな子供の腹部の切開手術は技術的にも困難を極めたこと。
それらの理由で一度手術を中断したが、子供の体力が回復し次第、再手術の必要があること。
そして、その回復を待っている間にも症状は危険な状態に進行してしまうこと。

説明を聞いた彼は膝から力が抜けて、その場にうずくまってしまった。
立ち上がろうにも体のどこからも力が湧いてこなかった。
ただ一ついえることは、子供を助けたかった。
愛する妻との間に出来た初めての息子の命を、どうしても救いたかった。

病室のドアを開けると、頭以外全身が包帯だらけの我が子がまず目に飛び込んだ。
そしてその傍らにはずっと寝ずに付き添っていた彼の妻がいた。
世に女傑といわれた妻は憔悴しきってはいたが、決して悲嘆に埋もれてしまうことなく
しっかりと凛として子供の看病をしていた。
その強さこそ彼女のもつ大きな力だったし、それはまた母親たる証でもあった。

物音に気がついてふと見上げた病室のドアの先に自分の夫の姿を見たとき、
彼女の胸の奥で自身を支えていた何かが、ポキリと折れた。
そして瞳からは大粒の涙が次から次へボロボロととめどなく流れて、頬をぬらした。
ただ一人の息子の容態を、彼女は手術直後に聞いていたのだった。

小さな病室で二人は手をとり合った。
そしてしばらくの間、二人とも泣いた。

若い二人が抱えるには、問題はあまりにも重く大きかった。
再手術の日。
手術室に入る直前の廊下で、執刀を担当する医師に子の父、すなわち僕の父親が、
正義感の塊のような僕の父親が、確かにこう言った。
「先生、この子を助けるためなら僕の命なんかいりません。
 この子が助かるというのなら、僕はどんな犯罪にこの手を染めたって構わない。
 だからどうか、どうかこの子の命を助けてやってください。」
と。
飾りも嘘もない、血のにじむような魂の叫びだった。
 
最善を尽くす約束をして、医師は手術室へと入り
若い夫婦の前で手術室のドアが閉ざされた。
1969年10月14日のことだった。                                           

                                          つづく

」」」」」当時のコメント」」」」」

ririka34 うちの上の子も腸重積をやりました・・3年くらい前に・・。突然転げ回り
泣き叫ぶわが子を見て、私はただただオロオロでした・・・幸い病院へ行くのが
早かったため手術にはおよばずに4日くらいの入院ですみました・・・
私もその時・・・どうか助けてください・・・とずっと心で叫んでました・・
出来るものならかわってあげたい・・って思いました・・・
2005/03/02 13:04

vmayo (´;ω;`)
やっぱり親は子供が一番なによりも大切なんですね・・・。
2005/03/02 14:09

戌年セブン うお!こちらにも連載物が☆親の素直な叫びが響きました。
2005/03/02 16:02

osakaken ご両親の苦しみが手に取るように伝わります・・
2005/03/02 16:33

スシファイ これきゅびの話?知らんかった・・・・色々あったんだなあ。 ()
2005/03/02 18:31

きゅび
■ririka34さん
 驚きました!そうだったのですか。大事に至らなくて良かったですね!
 腸重積は早期発見すれば、何てこと無い病気らしいですから、ririkaさんの
 ファインプレーでお子様は助かったのだと思います!良かった^^v
■vmayoさん
 そうだと信じます。その結論を次回お話いたします^^
■戌年セブンさん
 あはは^^さてはryomaサンの所の帰りですね^^あとでトモロクしに伺います。
■osakakenさん
 osakakenさんならではのコメント、どうもありがとうございます。
 そのキャリアから学ばせていただくことがこれから沢山ありそうです^^
■スシファイさん
 そうなんだよぉ。いろいろあったのだよぉ。
 ところで、風邪はどう?
2005/03/02 21:29

ryoma2005 すごい展開だ。過去がオーバーラップを始めた。親父さんも照明家さんだったんですね。きゅびさんと、きゅびさんの息子さん。きゅびさんと、きゅびさんのお父さん。この重なり合いが、興味をそそります。さて、続きは、どうなるのか?
2005/03/02 22:47

deedee0727 そっかぁ~・・そんなことあったんだぁ~・・
なおさら命の重みってわかるねぇ~・・親って・・やっぱりほんとありがたいねぇ~(*^^*) フフ 
2005/03/02 23:33

らむりー☆ ご両親の愛が・・・(´;ω;`)ウゥゥ
私も立派な母親になれるよう、頑張ります┏○ペコ(←まだ未定ですけどw
2005/03/02 23:44

きゅび
■ryoma2005さん
 う。。。。。。ryomaさん演出家の目になっていませんか?
 考察が鋭いので、ビビリました。
■deedee0727さん
 そうです。命は両親からいただいたのですから、
 それだけでも十分ありがたいと思います^^
■らむりーさん
 がんばって、「予定」を!^^
2005/03/03 20:43

ryoma2005 あっ、ごめん。。。でも、きゅびさんの文章は上手いよ。展開もいいもの。。。
2005/03/03 22:57

きゅび ■ryoma2005さん
 ま、参りました><;
2005/03/05 13:03

ぴの彦 ほほー ドラマチックな過去ですな・・・ きゅびさんは照明家の跡取りですかww
2005/03/06 03:16

はむねこさん 一瞬、きゅびサンお得意!?のストーリーかと思ったら・・・
実話だったのですねぇ・・・(* ̄  ̄)・・・
疑った自分+物語の深さに・・・ルールルルー・・・
2005/03/07 17:42

きゅび
■ぴの彦さん
 ま、生後丁度100日目のことだったので、本人の記憶は全く無くて、ほとんどは
 両親とりわけ母親への取材に基づいてますがね^^
■はむねこさん
 ( ゚∀゚)・∵. ブハッ!!
 ここは小説部屋じゃないので、ほぼ実話ですよー^^
 ただ僕なりに伝えたいメッセージがあるから、それがきちっと伝わるように
 話を組み立てたりはしますがね(≧∀≦*)
 あ、えっと事実を公表する順番や表現する言葉を吟味するってことね>組み立て
 ま、ややこしいことは抜きにして、はむねこさんみたいに構えず自然体で
 読んでいただくのが一番ありがたいのね。しかも、コメント書いてくれるしね^^

 
2005/03/08 15:27
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Commented by masshy85 at 2011-04-03 09:02
びっくりな事を乗り越えての今なのですね。
そしてお父様も舞台照明をなさる方だったなんて。
今もなさっている?
実はわたしも、自家中毒であの世に行きかけたらしいのよ。
さらに七五三の写真は前髪が抜けててすだれの様になっていて、
一生はえないかもって、言われてたらしいの。
でもふたりとも元気で仕事ができている!
人間てすばらしい!
生きてる人は精一杯生きなくてはね。
今回の震災で更に思いますが、なかなかそうはできなくて、たらたらしてるわたしです。
いいお仕事してくださいね。
Commented by hinemosunorari at 2011-04-03 22:55
■masshyさん
精一杯生きる・・・本当にそう思います。
仕事で世の中に貢献したいと思っていても、
僕が役に立てるのは、もう少し時間が経ってから;;;
何だかとてももどかしい心境ですよ><;
出来ることをこつこつとやっていくしかないですね;;
by hinemosunorari | 2005-03-02 12:34 | 日々のよしなしごと | Comments(2)

洒落と知性と愛そして無駄の織りなすブルース。


by きゅび
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