銀次のこと。(五)

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銀次を病院に預けた日の晩は、いつまでたっても落ち着かなくて
結局たいした睡眠も取れなかった。
そんな調子だったから、その日の講義の後はバスケットもアルバイトも休んで、
真っ直ぐに帰宅した。

夕方というにはまだ少し早いくらいの時間に家に帰ってみると、
病院から留守電にメッセージが残っていた。
お伝えしたいことがあるので、来院願いたいとのことだった。

心臓がトクンと鳴った。
いてもたってもいられずに、帰宅したその足ですぐに病院に直行した。
待合室で待っている間も、銀次のことを思えば、
心臓が握りつぶされているのではと思うほど、胸が痛んだ。

順番が来て、診察室に呼ばれた。
診察室に入って最初に見たのは、バスタオルに元気にじゃれ付く銀次の姿だった。
「うははっ。銀次!」
「にゃー。」
元気な声を聞いて、心の底からほっとした。
けれども、その直後に先生から聞いた銀次の状態は、
とてもじゃないけど喜べるような内容ではなかった。

はしゃぐ銀次を膝に抱いたまま、僕は先生と銀次の生活習慣や、
日頃の様子などを話し合った。
最終的に先生が銀次に下した診断は、「FIV」だった。
人間でいうなれば「HIV」、すなわちエイズだ。

銀次は生まれてからこの方、僕の部屋から外に出たことなど全く無かった。
感染などありえない。
つまり、この悪夢は親猫から先天的に負わされたものだ。
黙ってうつむいていると、先生は慎重に言葉を選びながら、付け加えた。
「検査してみたところ、銀次ちゃんは白血球の数値がおびただしく減少しています。
まれに起こりうる、極めて大変な症例なのですが、白血病を併発している可能性が高いと思われます。」
「先生、治療は出来るのですか?」
すがりたい気持ちで聞いた。
先生は落ち着いて、的確に、動揺を与えないように答えてくださった。
「合併症の場合、治療は極めて困難です。
 実際のところ、出てきた症状に対処するしかないというのが現状で、
 それですら限界があります。」

そして、大変申し上げにくいことですが、と前置きしたうえで、
銀次が今こうして元気そうにしているのは、
奇跡的に心拍・血圧・呼吸などが安定しているからであって、
一時的なものでしかないこと。
今朝も危篤状態にまで陥ったこと。
そして、このあと数時間後かもしれないし、数日後かもしれないけれども、
銀次は体調を崩し、大変危険な状態になる可能性が高いことなどを教えてくださった。

そんな話はにわかには信じられなかった。
膝の上で僕の服のボタンを引っかいて遊ぶ銀次。
その元気な姿を確かめたくて彼女を見ると、美しくて力強かった両腕は、
注射や点滴の跡で傷だらけだったし、柔らかくて可愛らしかった彼女の腹部は、
大量の点滴の為に不自然に腫れ上がっていた。

寒い冬の夜に死にそうになりながらも、「生きたい」という強い想いだけで、
奇跡的にその命をつないだ銀次。
誰がどうしてこんなにひどい苦労を負わせるのか。
彼女が必死にしがみついた命は、まだ二ヶ月あまりしか経っていないというのに。

彼女の生い立ちを考えると、あまりに切なかった。
先生の話を聞きながら、僕はぼろぼろと大粒の涙を流した。
泣いたのではない。
膝の上で遊ぶ小さな銀次が、必死に悪夢のような宿命に耐えているのに、
親である僕が泣いてなどいる場合ではなかった。
少なくとも、銀次の前だけでは泣いてはならなかった。
ただ、それでもやはり切なくて切なくて、涙だけが勝手に目からこぼれた。

結局、色々と相談した結果、病院と僕の家が近いことなどを考慮して
その日は銀次を連れて帰ることにした。
先生は、銀次の体調が崩れたらすぐに連絡をしなさいといって、
病院と自宅の連絡先を教えてくださった。

こうして、銀次は再び家に帰ってきた。



                                         つづく

 
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by hinemosunorari | 2005-02-12 23:11 | 日々のよしなしごと | Comments(0)

洒落と知性と愛そして無駄の織りなすブルース。


by きゅび
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