芸術に関する私見。

美しいもの。
ダイナミックな大自然の景色、野に咲くかわいらしい花々、
夏の夜空を彩る花火、絵画・彫刻などの芸術作品、などなど。
その判断基準はいろいろでしょうけれども、
人は美しいと思えるものに積極的に接しているべきだと思います。
理由は単純です。
芸術に接して「すばらしい!」と心を奪われた瞬間は
日常の些細な嫌なことや、抱えている悩みのことなど
スポーンと忘れることが出来るからです。

今週のアタマの月曜日のこと、
うちの嫁さんの誕生日を前倒しで祝う意味もあって、
豊島区は池袋にある東京芸術劇場に
ドヴォルザークを聴きに行きました。
この不景気なご時世、中小企業の事業主さんなんか
が資金繰りで東奔西走する中、はなはだ悠長なものです。
しかし、きゅび家においては実生活が貧しいゆえに、
こういうところで心の豊かさを保っておかねば
ならないというのが実情なわけです。

さて、かくのたまうきゅびはと申しますと、バリバリの体育会系育ちのくせに
物好きが高じてコンサートだったりミュージカルだったり芝居等は
チョコチョコ足を運びます。
ところが、この手の「演奏会」って言うのは、実は初めてだったりしたのです。
もしも事前に、演奏会があんなに静かなものだと知っていたら、
ホールがあれほど静寂に包まれると分かっていたら、
おそらく芝居だったり、寄席だったり、
何かしら違うもう少し気軽なチケットを買っていたかと思います。

何せきゅびはここのところ、かぜっぴきもかぜっぴきです。
詳しくはこのカテゴリにある過去log「風邪症候群のもたらす屈辱に関して」に
記しましたが、とにかく咳き込むのです。
折りしもNHKの大河ドラマでは沖田総司が結核で
よれよれになっている最中のようですが、
きゅびも血こそ吐かぬものの、「ケホケホ」とやたらに咳が出るわけです。
そんな輩がドヴォルザークなどとほざいてはならないのです。

会場は水を打ったように静まり返っているわけですから。
具体的にどのくらい静かかというと、入場時に受付で貰った
公演プログラムのページを「はらり」とめくるのがためらわれる、
あるいは組んだ足を組みかえるのがためらわれる、
そんな場の空気なわけです。

空調でカラカラに乾いた劇場において
演奏開始直後から、休憩をはさんで約100分間というもの、
咳をするという生理的現象を強制的に封じられたきゅびの苦悶たるや、
こんなブログのページでサラサラと書けるほどの、安い苦労じゃありませんでした。
ドヴォルザーク自身、考えそして思い悩む、苦悩の芸術家だったそうですが、
きゅびはきゅびで彼の約200年後の世界で、土俵は違えど芸術に悶えていたわけです。
いや、正確には芸術劇場で身悶えしたと言うべきでしょうか。
結果的には強靭な精神力と、昔体育会の部活で養った岩のような忍耐力がものをいい、
演奏などまるでうわの空ではあったものの、
どうにか人様にご迷惑をかけることなく、その場はしのげました。

産みの苦しみを伴って芸術は世に送り出される・・・なんていったりします。
言われてみれば、なるほど世に言う芸術作家は
皆すべからく眉間にしわの張り付いた、なんとも難しい顔つきをしてらっしゃる。
ヴェートーベン然り、ドヴォルザーク然り、オーギュスト・ロダン然り、岡本太郎然り。
世の中すべてを斜めから見ているというか、
お通じが1週間もない深刻な便秘持ちの顔つきというか、
眉間のしわの深さが芸術の奥深さに比例するとでも言いたげです。
そういう眉間のしわの意味においては、
その夜のきゅびはドヴォルザークとともに芸術と苦悩を共有出来たような気がしました。

さて、その日のテーマは嫁の誕生日でしたから
終演後に「じゃ、家に帰って晩飯作ってくれよ」なんていったら張り倒されます。
そこで、劇場の向かいにある日比谷BARにはいりました。
二人で迎える最後の誕生日です。
ロマンチックなセリフの一つでもびしっときめて
泣かしちゃうぞ、コノヤロー、なんて思っていたのですが
目の前のビールをぐいっと飲んだ直後に出てきた言葉は
「かぁ~、んめぇっ!!」
でした。
カラカラに乾燥しきったのどにしみこむビール。
ウマい。
ロマンチックな言葉などくそくらえでビールをおかわりしながら
ここまでのことをちょっと考えてみました。

・芸術は見るものの心を奪い、 日常のつまらない嫌なことを忘れさせてくれる
・しかし、風邪の諸症状はその芸術をも凌駕する。
・だが、体育会などで培った強い精神力さえあれば、 発作は乗り切れる。
・そんなことをすれば、当然だが擦り減って、疲れる。
・そんなやつれた人を癒すのは、1杯の冷えたビールである。

???
こんなことを言いたかったのではない。
これはどう良心的に解釈したところで屁理屈でしかない。
「これじゃ、あまりにまとまってなくて
 BLOGにかけねぇなぁ。まいった。まいった。」
なんていいながら帰宅してみると、我が家にも立派な芸術家がいました。
b0182613_12394419.jpg
彼女の眉間には明らかにヴェートーべンやドヴォルザークのそれよりも深い
くっきりとした苦悩のしわが刻まれていました。
「ジルよ、我が家で最も下っ端のお前こそが、一番の芸術の理解者なのか。」

思えば、「芸術」とは本当は庶民と供にあってこそ芸術。
一人でも多くの人に訴える機会が与えられてこそ、その本分をまっとう出来ようというもの。



その「本分」とはすなわち、民衆の眉間に刻まれたあまたの生活の苦悩を
「美」への感嘆により拭い去ることに他ならないのです。

すごいところに結実しました。
愛すべきバカ犬に、実に貴重なことを教わった一夜でございました。
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by hinemosunorari | 2004-12-03 11:46 | 日々のよしなしごと | Comments(0)

洒落と知性と愛そして無駄の織りなすブルース。


by きゅび
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