喜怒哀楽に関する私見。

人間の感情を表す「喜怒哀楽」。
小さい頃からこの言葉は知っていたけれど、
喜怒哀楽っていう言葉をかみくだいて理解できるようになったのは
つい最近のことのような気がします。

昔、純真な中学生だった頃、
当時の先生が「コインの法則」なるものを教授してくださりました。
要約すると、世の中すべての事物には
裏と表があってそれが一体となっている、という意味だったと覚えています。

当時は世の中の酸いも甘いも全く知らない
誠に真っ直ぐなかわいらしい中学生だったきゅびは
「あぁ、エロ本のことだろ?」
程度のこととしか、受け止めていませんでしたが
感受性豊かで利発的な級友の何人かは
とても感銘を受けていました。

彼等はまさに、1言えば10を知る、打てば響くような聡明な友人でした。
何で、もう少し彼等から影響を受けなかったのか
今では悔やまれて悔やまれてなりません。

あ。
今日も話が逸れました。
喜怒哀楽でしたね。
戻しましょう。

以前は
「世の中、喜と楽だけあればいいじゃんか。
 怒も哀も、別に必要ないじゃんか。」
なんて思ったりしていました。
でもそれじゃぁ、面白くないのですね。
物語に起承転結があるように、交響曲に第1楽章から第4楽章があるように、
1年に春夏秋冬があるように、やはり人間にも「喜怒哀楽」があってしかるべきなのだなと思います。

真剣に物事に取り組むとき、
(今のきゅびには仕事だったり、バスケットだったりするのですが、来年は子育てでしょうか。)
やはり違う個性を持った人とは意見の食い違いはかなり多々あります。
時にはゴミ箱を力いっぱい蹴っ飛ばしたりもします。
暴力を賞賛するのではなくて
お互いに違う感覚の人が真剣勝負してるんだから
衝突はままありがちです。

そんな人といがみ合いながらも目的を達成させようと思ったとき、
「喜び」や「楽しみ」といった感情だけでは
到底湧出し得ないエネルギーが出てきます。
そして、うまいこと困難を乗り越えて目的が達成出来たりしようものならば
「ザマァみやがれ!」
という自己喝采(←こんな言葉はありません。)とともにおたがいガッツポーズです。
あら、不思議。
「怒り」が「喜び」に昇華してるではないですか?

「哀」だっていっしょです。
かつて大好きだった彼女に一方的に振られたとき、
(発想力のない話題で誠に申し訳ない上に、
 きゅびの実生活の中では10年以上昔の事柄ゆえ、
 全く説得力にも欠けるのでありますが)
それはそれは、悲しかった。
とお~っても、悲しかった。
どれくらい悲しかったかっていうと、あなたが失恋したときと同じくらい、哀しかった。

そんなことがあったから、人間成長するのでしょうし
苦労の分だけ人に優しくなれるのだと思います。
その優しさのおかげで、今の嫁と出逢えて
日々、戦々恐々としてはいますが、これがまた楽しいわけです。

とかく今のご時世はなにかにつけて快適で、
怒りや哀しみっていう感情は、昭和の時代に置き去りにされてるような気がします。
それはそれで、いいことなのかもしれませんが
きゅびは、、、、、

悲しみを知った上で喜びを満喫できる人になりたいです。
怒りを努力で楽しさに変えられる人になりたいです。
空の高さも、海の深さも、世界の広さも、人の小ささも
すべてを唯ひとつのものとして受け入れられる人になりたいです。

全くの私事になりますが、
大好きなバスケットボールで大変お世話になった先生が
先ごろ天寿を全うされました。
心よりご冥福をお祈りいたします。


                      おっさんでもずっと先生の教え子のきゅびより。
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by hinemosunorari | 2004-11-30 12:15 | 日々のよしなしごと | Comments(0)

洒落と知性と愛そして無駄の織りなすブルース。


by きゅび
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